09 訓練の意味は筋肉を育てること

2022年 11月01日

  身近な当たり前

 小学校に上がる前の子どもに、自宅までの帰り方を教えるために一人で歩かせてみると十字路で右に行くか左に行くか迷う様子を見る事があります。一方で、すっかり上機嫌で鼻歌まじりに千鳥足のお父さんは、危なっかしい足取りながらもちゃんと家に帰ってきます。今回はその違いについて考えてみます。前回のコラムでは、靴の正しい履き方についてご案内いたしましたが、本コラムの読者の皆さんは何の苦労もなく靴紐を結ぶことができることでしょう。一方で、靴紐の練習をしはじめた子どもは、さんざん悩んだあげく、団子みたいな結び目にしてしまったり、結べたと思ってもすぐにほどけてしまう結び方をしたりします。

 皆さんは家に帰るとき、あるいは、靴紐を結ぶときに、ひとつひとつの段取りを考えながら行動しているでしょうか。まずひと結びをして、下から出ているほうの紐で輪っかを作り、もう片方をその上にかけて、なんて考えながら靴紐は結ばないことでしょう。当たり前にできてしまうはずです。こうした、いちいち考えずにできてしまう行動のことを、自動運転モードの行動と呼ぶとします。
 さて、今回のコラムのタイトルは、訓練の意味は筋肉を育てる、とあります。読み方をたがえると、様々な訓練の合間に、必要な力を生み出すための筋トレも行い、マッチョを目指すような印象を持つかもしれません。ただ、筋トレでは、筋肉を育てるとはあまり言いませんね。一般的には筋肉をつける、と言います。筋肉を育てるとはどういう意味なのでしょうか。
 話は変わって、ドローンパイロットのライセンスを得るためには、最低でも10時間の飛行経験が必要となります。この飛行時間の間に、パイロット練習生にはどのような変化が起きているのでしょう。最初のころは、ドローンの起動前の周囲の安全確認から始まり、続いてドローンを起動させ、まっすぐ上昇させた後で前後左右、上昇下降に、右左の旋回による動作確認といった段取りを、思い出しながら行っていきます。それが慣れてくると、一連の動作が当たり前のようにできるようになってきます。その成長の途中で、慣れたつもりが、うっかり手順を飛ばしたりすると、教官から注意をうけるなんていう経験もあるでしょう。一旦身についてしまえば、アプリ、コントローラー、ドローン本体の順番で起動し、活動終了時にはその逆順をたどる、といったことも、特に考えずに流れるように実施できるはずです。
 何かのスキルを身につけるということは、そのスキルに関する行動が自動運転モードでできるようになると言いかえることができるのではないかと考えています。

 

自動運転モードの重要性

 普段、私たちの心臓は落ち着いた状態ですと、1分間に80~90回前後で拍動しています。これが、運動をすることによって心拍数が上昇し、短距離ダッシュや、長距離走など、ハードな運動をすることで、140回をこえるような心拍数に上昇します。しかし、拍動が上昇する理由はこれだけではありません。思いがけない情報を知った時や、突然大きな音を聞いた時など、いわゆるドキッとする状況に直面すると、運動をしているわけでもないのに心拍数が上がることがあります。これは突発的な状況に対して、交感神経が優位となり、アドレナリンや コルチゾールといったホルモンが分泌されることに関係しているようです。

 とある研究を参照してみると、こうしたホルモン等は瞬間的に運動能力を高める作用があります。心拍数115~145回は自己防衛や活動能力を発揮するには最適な状況だとされています。一方で、心拍数が115回を超えると、細かな動作を含む複雑な運動能力が低下し、更に145回を超えると認知処理能力が低下することがわかっています。言い換えれば、心拍数が115回を超えるといくつもの段取りを踏みながら行う行動が困難になり、145回を超えるとその段取り自体を思い出すことが難しくなるわけです。パニック状態の一種とも言えるでしょう。
実際に火災に直面して、そのショックのあまりに119番がダイヤルできない、あるいは、そもそも消防通報が何番であったか思い出せない、といったエピソードが残っています。
 兵士や消防士、警察官に限らず、危険な現場で作業される方々などは、しかし、そうした緊張感が高まる現場でも正しい行動を取ることができることが多いようです。ベテランなどは、激しい活動のなかで心拍数が一時的に170回を超えていても、まるで精密な機械のように必要な行動を流れるようにこなすことが出来ると言います。認知処理能力が低下するとされる体内環境下で、確実に任務を遂行できるのはなぜでしょうか。それは、ベテランになればなるほど、難しい状況になっても、その対応行動についていちいち段取りを考えることがなく、まさに自動運転モードで対応しているのです。
 あるインストラクターは、こうした自動運転モードのことを「筋肉の記憶」と表現しています。咄嗟の行動や高速で連続する動作について「体が覚えている」などと言う事もあります。いちいち考えていたら追い付かないような素早い行動ができるのは、考えているのではなく、体が無意識のうちに反応しているのだとも言います。これらはみな自動運転モードのことを説明する言い回しであると言えます。すなわち、今回のコラムのタイトルにある筋肉を育てるとは、訓練を通して必要な行動を筋肉に記憶させ、考えなくても行動できるようなレベルに移行するプロセスの事を指しています。若干哲学的ではありますが、かのブルース・リーも訓練を積むことを「忘れるまで憶えること」と表現したと言われています。

 

自動運転モードを身につけるために

 スポーツの世界では、最初から複雑なテクニックを学ぶことはありません。まずは基本的な技術を繰り返し練習して筋肉の記憶を積み重ねていきます。楽器を演奏する方であれば経験があるように、早いテンポの曲を演奏できるようになろうと思えば、最初は指の運びを確認しつつゆっくりと演奏し、慣れてきたら徐々に早めて目標のテンポに近づけていきます。勉強だって同様です。九九から始まり、ひとつひとつ公式を理解し、覚えていくからこそ、難問にも取り組めるようになります。必要な公式のひとつひとつを考えて、思い出しながら難問に取り組んでいたら、思考が堂々巡りをしてしまい、解を導き出す前にギブアップしてしまうかもしれません。

 自動運転モードは、馴れと紙一重の存在です。ここでは、自動運転モードを正しい動作として、馴れによる動作を自動運転モードとは異なるものとして一旦区別しておきましょう。つまり、ここでいう馴れとは我流、自己流を指しています。自動運転モードとして身に着くか、我流による馴れとして定着してしまうかは、正しい訓練を受ける事ができたのかどうかによって決まります。
 試行錯誤の末、自己流でもある程度のレベルまで達することができたとしても、万が一に備えた安全への備えが抜け落ちているかもしれません。ドローンであっても、どれほど飛行時間を重ねていたとしても、それがシミュレーターによるものであった場合、いざ実際に飛ばしてみると、風の影響や周辺の障害物からの圧迫感などに翻弄されてしまい、うまく飛ばせない可能性があります。そもそも、どんなに飛行技術が優れていたとしても、基礎的な訓練を怠ったために安全確認の正しい段取りを踏まずに思わぬ事故につながる事があります。
 だからこそ、自動運転モードを身につけるためには、正しい訓練を受ける必要があるのです。
 これは、読者の皆さんがインストラクターや教師、講師といった教える立場に立った時に注意すべきことでもあります。いま教えていることが筋肉の記憶として受講者の体に刻み込まれても問題はないでしょうか。あとで、あれは間違っていた、本当はこう、と伝えても、一旦身についてしまった技術を上書きするのは、なかなかの苦労です。そうこうしている間に受講者が事故を起こしてしまった場合、それは果たして受講者のみの責任と言ってしまって良いのでしょうか。

 

筋肉のメンテナンス

 自動運転モードのもととなる筋肉の記憶も、脳の記憶と同様に時間の経過とともに薄まっていき、最後には忘れてしまいます。脳の記憶の場合は、以前はちゃんと覚えていたんだけどな、すっかり忘れてしまった、ということで済むかもしれません。しかし、筋肉の記憶が厄介なことは、以前はできたという事は覚えているために、すっかり筋肉の記憶が抜け落ちているにも関わらず、昔出来たからという思い込みだけで行動に移ってしまうことがあるという点です。例えば、第6話災害時の危険では、腰痛のリスクを軽減するための重量物の持ち上げ方を紹介しました。重いものを持ち上げるというだけでも、やはり訓練を積んで自動運転モードで実施できるようになっておかないといけません。災害時という特殊な状況でホルモンによって心拍数が上がっていれば、認知処理能力の低下から、腰のケアというステップを忘れて持ち上げようとすれば、腰をいためてしまって、その後の活動ができなくなってしまいます。
 この筋肉の記憶はどれくらいの期間をかけて、忘れていくのでしょうか。とある研究では、筋肉の記憶は、その記憶の程度が半減する前であれば、体を動かしてみることで、筋肉の記憶が掘り起こされ、自動運転モードが復活し易いとされています。そして、この半減期は、最後にその行動をしてから半年後であるとされています。

 実際に、FBIなどのアメリカの法執行機関では、普段危険な現場に出ないような事務職であっても、感覚を忘れないために最低でも半年に1回の射撃訓練が義務付けられています。半年に1回、射撃訓練を受けることで、アカデミー時代に身につけた射撃に関する筋肉の記憶を忘れないようにしているのです。
 わが国の消防法では、企業や施設などでは、年に2回以上の防災訓練が義務付けられています。筋肉の記憶をメンテナンスし、自動運転モードを維持するには、最低限のペースと言えるでしょう。皆さんも参加されたことはあるであろう、防災訓練ですが、半年に1回の訓練は、筋肉のメンテナンスとして最低限のペースであるという点は重要です。しかし、訓練の度にマニュアルを見ながら段取りを確認しているようでは、まだ自動運転の領域に達していないということ。一旦は集中的に訓練を受けて考えずとも動けるようにしておくか、あるいは、実際災害が起きたら自分は役には立てないかもしれない、と、腹を括るしかありません。あなたは、災害時にどんな動きができる人間でありたいと、お考えでしょう?

 

 

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国士舘大学 防災・救急救助総合研究所 嘱託研究員     
公益社団法人 東京都理学療法士協会 スポーツ局 外部委員 
佐伯 潤   

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