23 こころを守る鎧を身につける

2023年 06月01日

からだのケガ、こころのケガ

 「いいか、今日はいよいよ決勝戦だ、でも緊張しすぎることはない、これまでどんだけ練習に取り組んできたのかを思い出せ、練習通りにやれば、俺たちは勝てる!」
 スポーツものの映画やアニメに限らず、読者の皆さんの中には学生時代にこういった場面を実際に経験された方もいらっしゃることでしょう。「これまでどんだけ練習に取り組んできたのかを思い出せ」これが今回のお話しのテーマになります。

 からだのケガに対して、こころが追うケガをストレスと言います。ストレスを感じた時の対処法については、本コラム第10話「こころの応急手当でストレスに対処する」でもその一部をご案内しました。さて、からだのケガと、こころのケガ、同じケガであっても、その内容はだいぶ異なることは読者の皆さんの想像にも難くないところでしょう。一方で、同じくケガと言うくらいですから、似ている部分もあります。まずはそのあたりを考えてみましょう。
 最初に比較的わかりやすい、両者の違うところについて考えてみましょう。違いを明らかにするために、からだのケガについては、ここでは出血をともなう外傷に絞っておきます。まず、からだのケガは誰の目にも明らかです。一方で、こころのケガは、見ても気づかない場合があります。当人がうまいこと強っていればなおのことです。また、からだのケガの場合は、その状態の軽重にあわせて対処法が変わります。既往症などの個人差によって配慮すべき事項が変化することもありますが、血が出ていれば、患部を洗浄し、止血をする、という段取りに大差はありません。一方で、こころのケガの場合は、そもそも状態の軽重が分かりづらいために、一遍通りの対処法でなんとかなるというものでもありません。じっくり当人の話を聞く、傾聴という手法で随分と心が軽くなる場合もあれば、出来事に対する思いが風化するまで時の経過を待たねばならない場合もあります。極端な言い方をすれば、わかりやすいからだのケガに対して、こころのケガは分かりづらいものです。
 さらに最も大きな違いとして、一つの受傷機転(負傷の理由・原因)(註:ここでは比較のためにあえてこころのケガについても受傷機転という用語を使っています)に対する負傷者の数の違いがあります。からだのケガの場合、災害現場で災害ゴミの片付け中に転倒して膝を擦りむいたとなれば、負傷者は転倒した人、1人だけです。大地震が起きて、バスが電柱に衝突する単独事故が発生した場合、負傷の程度はさておき、負傷者の数はバスの乗客乗員が限りとなります。端的に言えば、受傷機転が物理的な影響の及ぶ範囲にいる人がからだのケガを負うことになります。
 しかし、こころのケガの場合は様子が変わります。一人の命が失われた場合、その家族はこころのケガを負います。さらにその亡くなった方の友人、仲間、仕事などで付き合いのあった方もこころのケガを負うことでしょう。それだけではありません、その方のご遺体を目撃してしまった人、救出や搬送にあたった隊員、医療関係者もまた影響を受けます。拡大すれば、そのことを報道したニュースに触れて、こころを傷める方もいることでしょう。このように、受傷機転となった場所からの距離に影響を受けず、こころのケガを負う人は、時に地球の反対側にも現れる可能性があります。

 

ここ一番の踏ん張りどころ

 次にからだのケガとこころのケガの共通点について考えてみましょう。それはケガの程度の個人差です。小さい子どもは遊びで駆け回っていて転びます。泣きっ面を見せるかもしれませんが、擦り傷で済むことが大概です。ほとぼりが冷めればまた駆け回っていますし、当日は風呂が滲みるかもしれませんが、数日も経てば、かさぶたになって絆創膏の世話もなくなるでしょう。一方で、ご高齢の方が転倒したらどうでしょう。転倒して脚の骨を折ったなんていう話は珍しくありませんし、それがきっかけになって歩く力が弱くなってしまうこともありえます。
 こころのケガにも同様の差が生まれます。例えば、勤務中に被災したとします。被災して雑然とした職場を目の当たりにする、というのもこころのケガの原因となり得ます。しかし、この時にこころのケガが軽症ですみ「なんとか乗り越えるぞ」という気持ちに切り替わる人もいれば、「これからどうすればいいんだ」と茫然自失においちるような深いこころのケガを負う人もいます。

 からだのケガの場合は、骨密度(骨の強さ)や、咄嗟に手が出るかといった反射神経、筋肉量や、柔軟性といった総じて言うのであれば、からだの強さが結果に影響を及ぼします。こころのケガも同様で、こころの強さがポイントになってきます。強いこころとは、言い換えれば、「折れないこころ」を意味します。
 一般的に人のからだの強さは、持って生まれた性質が影響することもありますが、食生活やトレーニング・運動にも強く左右されることは言うまでもありません。こころの強さも同様です。これが、からだのケガとこころのケガの共通点であると言えます。
 では、こころの強さはどのようにして鍛えれば良いのでしょうか。本コラム第10話「こころの応急手当でストレスに対処する」でご案内したように、傷ついたこころへの対処法は「情動焦点型対応」と言います。それに対して、傷つかないように、そもそもこころを強くしようという対処法のことを「問題焦点型対応」と言います。この「問題焦点型対応」を紐解く鍵が、まさに今回のお話しの冒頭に出てきた、「これまでどんだけ練習に取り組んできたのかを思い出せ」なのです。

 

問題焦点型対応

 深呼吸やヨガ、趣味など情動焦点型対応には人それぞれに合った手法というものがありました。一方で、問題焦点型対応は、端的に言えば、一つの手法しかありません。すなわち、「訓練・練習を重ねる」というものです。訓練を重ねることで、なぜこころが強くなるのか、そのことを3つの観点で確認していきましょう。
 第一に、本コラム第9話「訓練の意味は筋肉を育てること」でご案内した通り、訓練を繰り返していくと、その内容を筋肉が記憶します。それによって、頭が考えるよりも先に体が動く、オートパイロット状態が生み出されます。余談となりますが、体のどこにこころがあるのか、という議論は意見が分かれるところであり、意識を生み出すのは全て脳なんだ、と、脳こそがこころの所在という意見があります。解剖学的な意味合い以上に、精神的なニュアンスも含めて、心臓(ハート)のあたりを指す人もいます。ちなみに昔の日本人は、「はらわたが煮えくり返る」「胸にこみあげてくる」「腹に落ちる」という言い方にも表れる通り、下腹部(丹田と呼ばれるへその下のあたり)にこころがあると考えていたようです。いずれにせよ、こころの働きには思考が連動しているのは間違いないところでしょう。
 オートパイロット状態で動けると、意識が事態を覚知するよりも前にからだが解決に向けて動き出しています。つまり、気づいた時には既に行動が始まっています。何から手をつけたら良いか見当もつかない状態と、とにもかくにも糸口を掴めている状態では、難問に直面してもこころのありさまというものは大きく違うものです。
 2つ目に、訓練の経験というものが、自信となってこころを守る鎧となってくれる効果が期待できます。1つ目の理由は、訓練を受けてきた特定の対象に対して発揮される効果ですが、この2つ目の理由は、もっと抽象的なニュアンスとして、自分は備えてきたんだから何とかなるはずだ、という自信につながる点において、広く浅い防御力につながると言えるでしょう。
 3つ目は、間接的な効果です。訓練を重ねることによって育つ好奇心、事態に対する関心もこころの強さに影響します。漫画「ドラゴンボール」の主人公、孫悟空は「あんな強いじいちゃんと戦えて わくわくするんだ!」といったセリフをよく言います。解説をすると、何らかの事態に直面した際に、そうした不遇な経験であっても、そこから何かを学ぼうとする姿勢を持てる人のほうが、こころの傷が浅くなる傾向があるとされています。

 メンタルケアというと、一般的にはこころのケガを負った後の対処法である情動焦点型対応に意識が向かいがちです。しかし、こころのケガをからだのケガに置き換えて考えてみてください。人類の宝とまで言われるほどの名医と家族ぐるみの付き合いをしていて、どんな骨折であっても必ず治してもらえる、しかも日頃の付き合いのよしみで、タダ!というのは心強いかもしれませんが、正味のところ、骨は折らないにこしたことはありませんね。こころのケガも同様です。こころのケガの対処法を万全にするのも大切ですが、こころのケガは、どんな名医であってもからだのケガのように寸分の違いもない正確な診断ができるわけではありません。だから、なおのこと、ケガをしないような、ケガをしたとしても浅くてすむような強いこころを育てておくことが重要なのではないでしょうか。

 

訓練のあるべき姿

 筆者が災害対応に関する訓練を指導する際、心を砕く要素に、難易度の設定があります。簡単すぎても訓練としては価値が薄れますが、難しすぎても、自分にこんなことは無理だ、という諦めにつながりかねません。今後の励みとなるように、達成感を味わいつつも、課題を意識できるような難易度の加減というのは、なかなか難しいものです。
 必要な教材を用意し、状況付与(訓練時の背景として想定する災害の様子)や制限時間などの諸条件を調整し、それらが適切であれば、報告書に残る内容として、それなりの訓練が仕上がります。その上で、インストラクターとして筆者が望むのは、受講者のひとりひとりにとって問題焦点型対応に、こころの強さに、つながるような経験が蓄積されることです。そのために、訓練の冒頭に今回のお話しのような内容を説明することもあります。しかし、結局はこころの問題、受講者ひとりひとりの取り組む姿勢に頼るしかないというのもまた事実です。
 皆さんがこれまで受けてきた防災訓練の経験は、自分のこころを守る鱗(うろこ)となってしっかり蓄積されているでしょうか。そして、次回、防災訓練を受ける機会があったとき、果たして皆さんはどんな心持で訓練に臨まれるのでしょうか。

 

 

 


国士舘大学 防災・救急救助総合研究所 嘱託研究員     
公益社団法人 東京都理学療法士協会 スポーツ局 外部委員 
佐伯 潤 

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