48 最悪ってなんだ
2024年 06月15日
訓練がきついほど、本番は楽になる
これまでのコラムでも、読者の皆さんに様々な実践のヒントをご案内してきました。実践とはすなわち訓練であり、訓練は防災にとって何よりも重要な要素です。2017年に東日本大震災、熊本地震を経験した市町村の首長らが集まって発信した「被災地からおくるメッセージ 災害時にトップがなすべきこと」では「自然の脅威が目前に迫ったときには、勝負の大半がついている。大規模災害発生時の意思決定の困難さは、想像を絶する。平時の訓練と備えがなければ、危機への対処はほとんど失敗する」と訴えています。本コラムの第1話でも、災害時の絶対的なルールとして、「自分自身の安全が最優先」であるとし、自分の安全が守られるかどうかの判断基準として「訓練をしていなことは、しない」ということを提示してきました。
事程左様に、訓練の重要さは何にも代えがたいものです。筆者が以前お世話になった指導教官は、訓練の度に難易度を上げていくことがとても上手でした。最初から難しすぎれば、失敗するのは勿論のこと、あらゆる内容で失敗をするために、何がいけなかったかを反省するのが困難になります。下手をすれば「自分にはこんなことはできない」とあきらめの気持ちさえ芽生えてしまうかもしれません。
ドローンの飛行訓練でも同様でしょう。まずはドローンを起動してホバリングさせ、前後左右など基本的な動きを学び、次に前後、正方形、高度を変えながらの前進、といった具合に、少しずつ高度な飛行技術を学習します。こうした基本から上級技術までをしっかりと身につけた後は、目視外飛行や夜間飛行など更なる高度技術の訓練に移行していきます。
更なる技術の高度化のためには、どのような訓練を重ねていけば良いのでしょうか。防災訓練の場合には、徐々に環境が厳しくなっていきます。通信訓練であれば、背景で救急車のサイレンや報道ヘリの騒音が大音量でスピーカーから流れてくるような場合があります。救助訓練では、事前にブリーフィングを受けていた行方不明者の数(捜索対象)よりも、実際の要救助者の数が多かったり、少なかったりすることもあります。
そんな筆者が尊敬する指導教官の言葉に「訓練がきつければきついほど、本番は楽になるんだから」というものがあります。訓練であれば、万が一を想定して、必要な安全措置をとることができます。訓練でしっかり失敗をして、欠点や弱点を克服しておくことは、訓練でしか得られない成果と言えるでしょう。それこそ本番で失敗するということは、時として自分や仲間の生命を危険にさらすことにもつながりかねないためです。
訓練は、つきつめれば、最悪の事態を想定して訓練ができるようになる、最悪の状況下で訓練をする、ということが大きな目標であると言えるでしょう。
本当の最悪ってなんだ?
筆者が知己を得たとあるインストラクターが、講習中に面白い質問をしていました。大地震でぺしゃんこになってしまった家の写真が提示されます。読者の皆さんも一緒に考えてみてください。質問は、「これがあなたの自宅だとして、あなたは大地震が起きた時に、この家の中にいたとします。発災から2分後、あなたは何をしていると思いますか?」さぁ、皆さんは何をしているとイメージするでしょうか。
筆者が参観した講習では、「机の下にもぐる」「外の様子を確認してから避難所へ向かう」といった回答が多く寄せられていました。その後にインストラクターが指摘していたのは、誰一人、ここまで全壊した建物の中にいたのだったら、自分は死んでいるかもしれない、という発想が出てこない、という点でした。自分自身が死ぬ、という、ストレートに最悪なシチュエーションについては、人はなかなかイメージすることができません。これは、災害に関わらず、普段の生活においても、様々な不安を抱え込み過ぎて心に余裕がなくなってしまうことが無いようにと、時に前向きに考えたり、あるいは不安そのものを忘れたり、と仕向ける心の防衛機能があるためです。
さて、ここでちょっとした矛盾が生じるのですが、最悪の状況下を想定して訓練することが大切であったとして、その最悪の状況設定が、自分自身が死んでしまってるような状況というのは、いかがなものなんでしょう。もう死んでしまっていたら、その後にすることは何もないですね。筆者が想像するに、文字通り、死ぬほど辛い出来事、のほうが、死ぬよりも最悪な状況なのかもしれません。
こうした最悪については、人それぞれの感性が影響してくるかもしれません。ちなみに、筆者が個人的に最悪だと感じる状況は、歯医者で治療を受けている時です。歯を研磨するドリルが自分の口の中に突っ込まれている時に、突発的な地震が起きたら、いかがなかものか、と。もう一つ、床屋にいる時で、これは、シャンプー中であったり、ちょうど半分くらいカットが進んだ時であったり、途中で投げ出されると色々面倒そうだと思うからです。一方で、業務の上では、自分が設計した防災計画がうまく機能せず、結果的に多くの命をつなぐことができなかった、というのは間違いなく最悪の事態であると言えるでしょう。
防災を考えるにあたって、想定すべき最悪の事態とは、単純に自分が命を落とすことだけではなく、条件によって、様々なパタンがあるようです。
最悪を避けるための訓練
本コラムでも常々ご案内してきたように、災害時のぎっくり腰(詳しくは第6話、第47話を参照)は最悪です。身動きが取れず、かといって救急車やヘリが駆け付けるほどの致命傷ではなく、結果的に仲間の足手まといとなり、自分がこの上ないポンコツである気がする、まさに、死んだほうがマシと思えるくらい最悪な状況に陥ります。それにしても、最悪な事態が腰痛とは案外と地味ですよね。
あくまで主観で考えてみると、まず、死んでしまったら主観は消滅するわけで、最悪もヘチマもないということで、死ぬという事態は一旦、最悪の事態から除外します。その上で、筆者が見聞きしてきた印象からすると、周囲に迷惑をかける(発災直後の慌ただしい時に世話をかけるのも迷惑ということになります)ことの程度が重くなってくると、それが最悪な事態に近づいていくように感じます。
周囲に迷惑をかける状況を例として挙げてみましょう。災害対応に必要な資機材を運んできたものの、搬出時のチェックが甘かったせいで、必要な部材が1つ足りていなかった。そのために、その部材を運ぶ手間を仲間にかけることとなり、助けを求めている人の元へたどり着くのが遅れてしまった。何より最悪なのは、その遅れのせいで、助けられる命をつなぐことができなかった。自分は生き残っていますが、最悪な事態と言えるでしょう。この場合、はじまりは単純なチェックミスでした。しかし、最悪な出来事は、隕石が地球に衝突するような明快でダイナミックな出来事よりも、ほんのささいなミスがきっかけとなることのほうが確率としてははるかに高いのです。
ささいなミスが発展して重大な結果につながる事態が、最悪となるのは、関係者や目撃者が多い事にも関係がありそうです。隕石が衝突してみんなが同時に蒸発してしまえば、その後に振り返られることもありません。しかし、小さなミスだと、そのミスを発見した人、それをフォローしてくれた人、そのミスの影響をうけた人、その人の家族や知り合い、さらには、究極に落ち込んでいる時に優しい気遣いをしてくれる人、と、連鎖的に関係者が増えていきます。すると、結果もさることながら、最初にミスしたのはお前だ、という事実を知る人の視線が針のむしろとなるあたりが、最悪です。
こうした最悪の事態へのトリガーは無数に存在しますが、それをパタン化し、最悪の事態の発生を最小化するために、効果を最大化しようとしているのが、訓練です。ささいなミスをなくすために、基本的なことがらを何回でも繰り返すのが、訓練なのです。第9話で、訓練の反復は、脳ではなく筋肉に記憶させることだというお話しをしました。論理的思考の精度は心拍数に影響を受けます。緊張や、周囲の状況によって心拍数が上昇すれば、論理的思考、すなわち頭で考えることが困難になっていきます。よく考えて行動する、と言えば聞こえはいいですが、それは焦ったり、煽られたりすると、ミスが増えるということに他なりません。
ささいなミスから起こる最悪の事態。それは転がり落ちる石ころが不規則にバウンドするように、どのような展開が広がるかを予測することは困難です。本当に最悪を避けたいのであれば、自分がなすべきことを考え、そのなすべきことを筋肉が記憶するまで地道に訓練を繰り返すしか方法は無いのかもしれません。
それでもやっぱり死んではいけない
前章で、一旦除外した死ぬという事態をここで引っ張り出してみましょう。そうはいっても、死ぬという事態が最悪であることには変わりはありません。瞬間的な絶滅でも起きない限り、人にはつながりがあり、1人の死は、残された人々にとって大きな悲しみや苦しみを与えるからです。
ささいなミスから発展した事態が最悪なのは、その事態に人の生死が関わっているか否かにとらわれず、最悪な事態を引き起こしてしまった、関与してしまった、止められなかった、という後悔が多くの人の心を傷つけ、その傷は時に自死という形で死につながってしまうことがあるからです。
このコラムでも幾度となくお伝えしてきた通り、防災において最も大切なことは「自分の安全を守る」ことです。それは、適切な判断によって危険から遠ざかることであり、また、最悪な事態を引き起こしかねないささいなミスをしないようにすることでもあります。
皆さんが経験している訓練は、ささいなミスを取り除くほど、筋肉に記憶されているでしょうか
国士舘大学 防災・救急救助総合研究所 嘱託研究員
公益社団法人 東京都理学療法士協会 スポーツ局 外部委員
佐伯 潤
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