49 本当に避難できるのか

2024年 07月01日

自然とともに生きる?

 あくまで個人的な話ですが、エコという言葉が苦手です。取り組み自体には賛同できる活動も少なくはないのですが、地球のために、とか、自然環境のために、というのが、しっくりこないと感じています。だって、エコという発想って、人間が絶滅しないために、っていうのが終着点なんじゃないのかな、なんて思う事があるからです。まぁ、この話を深めていっても、防災の話にはならないので、少し本線に戻りますと、自然は強いし、優しいわけでもありません。地震も台風も、そういった災害をひとまとめにして自然災害と呼ぶくらいですから、エコな生活も、オーガニックな食品もそれはそれでよいのですが、そうした言葉からイメージされるありがたみとは裏腹に、自然は熾烈です。
 食品やツーリズムなどのマーケティングの世界などでは、自然、天然といったキーワードが、安心安全、あるいは、特別、貴重といったイメージで使われていますが、こと現代においては、化学的に設計されたワクチンや抗生剤が無ければ、いまよりもっと多くの人が伝染性の病気で苦しむでしょうし、下水処理場(最近は水再生センターなどと呼ぶことが多くなってきていますが)できちんと下水処理をしなければ、あらゆる河川が悪臭を放つ死んだ川になってしまうでしょう。
 そうした私たちに役立つ人工物のなかで、筆者が特にありがたみを感じるのが、道路です。道路は素晴らしい。防災で大切なことは、自分の安全を最優先にすることですが、その自分の安全を確保するためには、時に危険から遠ざかるべく避難をする必要があります。よって、安全に移動する能力、しっかりと歩けること、これが安全の基礎になるわけですが、道路は、その移動を支えてくれる基盤です。きちんとした道路がある、というのは、それだけで、安全の確保につながります。

 筆者は、週末になると頻繁に山に出かけます。チャレンジハイク、と呼んでいるその山歩きは、お決まりのエリアがあるのですが、標高も150mほどの山々で、登山と呼ぶほどでもないのですが、ハイキングと呼ぶほど穏やかでもありません。いくつもの低標高の山が連なるエリアなので網の目の様にハイキングコースが設定され、気候の良い春や秋には、子供連れやご高齢のハイカー、あるいは猛スピードで駆け抜けていくトレイルランナーに遭遇します。
 そんなゆったりとした稜線が続く山エリアで、筆者の場合は、コンパスを頼りにできるだけ真っすぐ進む移動をします。ハイキングコースから外れ、谷あいの渓流を進み、露出した木の根を手掛かりに傾斜を登攀。60度を超える斜面は降りる時のほうがもっとおっかない、そんな山歩きは、筆者のインストラクターチームの必修課程になっています。

 

本当に歩けるのか

 筆者は東京在住であるために、東京の事例のご案内となってしまって申し訳ないのですが、防災の観点から「この人だいじょうぶかな」と不安になる人の類型に、「東京3.11体験者」がいます。彼らは2011年の東日本大震災を東京で経験し、鉄道各社が一時的に運休となったために、頑張って歩いて会社や自宅に帰還した人々であって、その経験から、災害時に俺は歩けたんだ、という誤った自信を持っている人々です。あるいは、災害時の徒歩帰宅を想定して、実際にオフィスから自宅まで歩いたんだ、ということを自慢げに話す人々です。
 東日本大震災は、東日本とは言いますが、東北地方の大災害です。東京で十数キロを歩いて帰ったと言ったところで、停電もなく道には街頭の光があり、火災や家屋の倒壊で迂回すべき危険箇所もなく、また、押し寄せる津波も存在しませんでした。そして、なにより、東京の道路はいつも通り平らでした。百歩譲って、革靴で、あるいはパンプスで、十数キロ歩きとおしたガッツはいいとして、でもそれは、一生懸命歩いただけであって、災害時の徒歩移動を経験したとは言えません。酔っぱらって千鳥足でも、ちゃんと家に帰れる道路を通って帰ったのですから。

 2024年元旦に発生した能登半島地震では、道路で陥没したり、大きな段差が発生したりしました。不慣れな段差は、後ろ足を抜ききれずにスネを痛打する原因となります。建物が倒壊し道路に瓦礫が散乱しているところもありました。瓦礫は時に浮石のように不安定で、足首の捻挫や、転倒を引き起こします。また、液状化現象で地面がどろどろになって、エアコンの室外機が半分ほど地面に埋没した様子も見られました。靴紐を結び直すことなく、靴ベラだけで履ける革靴で、そうした泥に足を突っ込んでしまった場合、泥に靴を取られ、その後は靴下で歩くことになります。災害時に歩くというのはそういうことを言います。さらに、停電が発生すれば、都会では普段体験できないほど、月明かりを心強く感じる暗闇の中を歩く必要があります。これは、東日本大震災の夜に、東京の道を歩いて帰ったのとはかなり様子が違います。
 ちなみに前述の、筆者が山中で行うチャレンジハイクは、そうした災害時の悪所の移動を想定しています。たまに、企業の防災担当者も参加しに来ることがありますが、皆さん一様に、災害時の移動とは、つまりはこういうことなのだろうね、と、納得されて帰路につきます。

 

移動しないで済むのなら

 災害時の避難は重要ですが、津波の到来、周囲の火災延焼など、外的な影響を考慮しなければ、その場にとどまって移動をしない、というのが、安全確保の上では、最良の選択となる可能性があります。
 地震が発生した場合のリスクとして、落下物の危険を挙げる方は多いです。ただ、落下物は揺れている間のリスクではありますが、地震に起因する負傷で多いのは、むしろ移動時の転倒なのです。揺れによって階段から落ちた、といった負傷のほかにも、避難中の転倒もあります。災害時の移動はそれほどにリスクが高いのです。
 ドローンを操縦したり、何か作業に集中している時に、うっかり小さな石を踏んづけただけで転びそうになったことはありませんか。二足歩行をする私たちは、安定感という点においては、非常に心もとなく、ほんのささいなきっかけで、転倒する生き物なのです。

 ゆえに、安全を確保するためには、移動しないで済むのであれば、移動しない判断をすべきです。勿論そのための備えとして、耐震・免震の充実、建物内の家具什器の固定など、いつもいる場所が、居続けられる場所であるための準備は欠かせません。加えて、洪水や津波、高潮の影響があるか、土砂災害が起こり得るのか、といった外的影響についても、ハザードマップに加えて、実際に周辺の土地をよく見ておくことも重要です。その場に留まるための、食糧や水、断水時のトイレ対策といった備蓄も欠かせない要素です。それら諸々の前提の上で、その場にいる、無闇に移動しない、という判断ができれば、災害時の安全性はぐっと高まると言えるでしょう。
 また、避難しないとはいえ、いつなんどき、例えば近隣で火災が発生して、移動を伴う避難の必要性が生じるかもしれません。とどまると決めた場所にも、どんな物が落ちているか分かりません。しばらくの間は、しっかりとした紐靴を、しっかりと履いておくと安心です。靴の履き方については、このコラムの第8話でご案内しました。そちらも併せてご確認ください。
 そして、避難することになったのなら、覚悟しておくべきなのは、いつもの道が道じゃなくなっている、ということです。

 

天然よりも人工物のほうが良いこともたくさんある

 

 チャレンジハイクが、普通の山歩きと大きく異なるのは、整備されたハイキングコースを進まない点です。流木がフェンスのように進路を阻み、鬱蒼と茂るやぶは、鉈で切り開かなければいけません。その鉈を振りかぶる前には必ず足場を確保しなければ、進めないと思っていたやぶにいとも簡単に飲み込まれて滑落します。森林浴?そんな感慨はありません。チャレンジハイクを終えると、生ビールがおいしいのは間違いないのですが、いつも感じるのは、舗装された道路を歩ける安らぎです。
 自然を満喫できるハイキングでも、人工的に整備されたハイキングコースを進むから、楽しめるわけで、無垢の自然は、優しくもなければ、普段エコな生活を心掛けているからといって特別な配慮をしてくれるわけでもありません。そこに、人工的な道があるからこそ、比較的楽に、安定して歩行をすることができ、また、目的地にたどり着くことができるのです。その日常ではなかなか意識しない当たり前をことごとく破壊するのが、自然がもたらす災害なのです。

 とりあえず試しとして、もうそろそろ買い替えかな、という古い通勤靴(新品だと傷だらけになったときに凹むので)を履いて、河原を散歩してみてはどうでしょうか。いつもの散歩道は、砂利、砂、アスファルト、あるいは何らかの素材で舗装された、道、でしょう。そこから一歩外れて、茂みの中、石くれだらけの河原、堆積によってできた湿った砂地、そうしたところに踏み出してみてください。災害時に移動をすると決めた場合、あなたはそのような道を、これから何キロも歩くことになるのですから。
 その場所に留まるため、外的影響で避難するため、あなたは何を備えますか。

 

 

 

国士舘大学 防災・救急救助総合研究所 嘱託研究員     
公益社団法人 東京都理学療法士協会 スポーツ局 外部委員 
佐伯 潤 

 

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