02 防災に王道はあるのか
2022年 07月15日
災害対応の共通点
筆者が災害対応に関する教育訓練を実施していると、たまに受けるリクエストがあります。「これを準備すれば大丈夫、これをやっておけば問題ない、というポイントから教えてください。」これは、なかなか難しいリクエストです。心構えの面で言えば、第1話でご案内した「自分自身の安全が最優先」という絶対的なルールが挙げられますし、これから本コラムでご案内していく様々なエッセンスもまた、多様な災害を想定した上での共通項を意識してお届けしていこうと考えているところです。しかし、冒頭のリクエストをされる方は、もっと具体的な、発災直後の行動や、備えるべき資機材について、定石とも言える手法を求めておられる事が殆どです。まさに、本コラムのタイトル「防災に王道はあるのか」という問いに対する答えが求められています。
語弊を恐れず、言い切るとすれば、防災に王道はありません。災害と一言で言っても、地震や事故のような予期できない突発性のものもあれば、豪雨、豪雪のように天気予報をもってある程度予想できるものもあります。また、地震ひとつを取り上げても、震源地によって津波が起きたり起きなかったり、土砂崩れが発生したり、或いは発災の時刻、天気、気温などの諸要因によって被害の様相は大きく異なります。それを全て包含して「これさえ準備すれば大丈夫」と言い切れるような防災の王道というものは、けだし現実的なものであるとは言えないでしょう。
一方で、失敗の原因には共通点があります。それは、「判断をしないこと」です。判断の遅れが、被害の程度を変える大きな要因となります。ここで重要なことは、判断の価値は、その判断が正しいかどうかよりも、素早く判断できるかどうか、に懸かっている点です。危機管理の第一人者である国際関係論学者の大泉光一先生も、名著「危機管理学総論」で「不決断は誤った決断より致命的なことがある」と指摘されています。
今回は、その判断の本質について皆さんと考えていきましょう。ただ、判断といっても、戦略や方針に関する大局的な判断から、右に進むか左に進むか、といった現場レベルの判断まで様々です。今回は、その中でも最小単位とも言える個人に関する現場の判断についてご案内します。そのポイントは、迅速性と、判断基準です。
迅速であることの重要性
最近は、多様な現代社会の様相を表現して、VUCAの時代であると言われることがあります。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとったVUCAは、1990年代の核戦略を中心とした米ソ冷戦時代が集結し、戦略の基軸が不透明になってきたことを表すアメリカの軍事用語でした。それが、現代ではビジネス用語として活用されるようになってきたわけですが、VUCAの状況に迅速に対応するべく、PDCAサイクルよりも機動性を重視した思考法として注目されるOODAループも冷戦の産物です。
OODAループは、1950年に勃発した朝鮮戦争で空軍パイロットとして活躍した経験をもつ米空軍ジョン・ボイド大佐によって提唱されたコンセプトで、Observe(観察)、Orient(適応)、Decide(判断)、Act(行動)を1つのサイクルとしたものです。音速に近い速度のなかで展開される空中戦にあっては、一瞬の判断の遅れが命取りになる、まさにそうした現場から産み落とされたOODAループは、不安定な状況への対処法として適切であると認知されているわけです。
VUCAやOODAについての詳説はさておくとして、ここで重要な点は、判断は迅速をもって旨とする、という点です。戦闘機並とまでは言わなくても、レース仕様ともなれば時速100kmにも達するドローンの操縦であっても、判断ミスが障害物への衝突や、墜落につながります。
おおよそあらゆる災害は、放置すれば刻一刻と悪化します。一旦災害が発生してしまえば、私たちがすべきことは、被害の拡大阻止の行動に注力することです。OODAループのDAの部分にあるように、行動(A)には判断(D)が先立ちます。素早い行動は、素早い判断なくしてありえないのです。2011年に発生した東日本大震災では津波によって2万にも迫る多くの尊い命が失われました。一方で、からくも津波から逃げ延びて命をつないだ方々がいるのもまた事実です。年齢、健康、職責など様々な事由が絡み合っていたことは否めませんが、ここでの生死を分かつ一因となったのが、判断の遅れによる逃げ遅れであったことは、事後の検証で明らかになっているところです。
判断は、迅速でなければ意味が無いのです。合っているのか、間違っているのか、それを逡巡することよりも、早さが求められるのが判断です。例えば、朝の通勤時に駅構内でぐったりしている人を見つけたとします。あなたがまずすべきことは、判断です。「声をかけてみよう」、「手助けをしてあげよう」という判断ばかりが正解ではありません。様々な事情があってどうしても手助けをしている余裕がない、あるいは、自分の技量ではどうにもならない、といった状況であれば「助けない」というのも判断の1つです。ここで重要なことは、「助けない」という判断と、見て見ぬふりをして看過することでは、その結果に雲泥の差があるということです。
判断とそれに伴う行動や結果は、新たな状況につながります。「助けない」という判断をすれば、続いて「せめて駅員さんに伝えよう」という判断につながることだってありえます。結果的にその具合の悪い人は誰かしらによって救助される可能性が高くなります。誰しもが判断をせずに看過するにまかせていれば、その人は誰の助けを得ることもできず、最悪の場合には、その場で落命することも考えられます。
大切なので重ねてご案内しておきます。判断は、迅速でなければ意味が無いのです。
判断基準
目の前で人が助けを求めている状況をイメージしてみてください。この人は、左太ももの内側部分、膝上10センチくらいの所に切り傷を負っていて、出血しています。当然止血をすべき状況となりますが、あなたならどのような判断をしますか。
このような状況に直面して、迅速な判断が必要であるという点は、既にご案内の通りですが、前述の例にならえば、ここで「助ける」という判断もできれば、「助けない(そして助けを呼びに行く)」という判断もできます。少なくともその判断が迅速であれば、その判断には価値があります。今度はその判断の内容について考えていきましょう。
心理学が明らかにしたところによれば、人は利他的な行為によって幸福感を得ると言われています。また、一方で、助けを求める人を発見した時に何もしなかった場合に感じるであろう後悔が、利他的な行動へと人を駆り立てることもあります。故に、過去の災害には、我が身をかえりみない英雄的な行為が美談として数多く残されています。しかし、これは「たまたまうまくいった」から美談として残っているに過ぎず、失敗すれば単純に被害を拡大させる迷惑行為にもなりかねない、博打のようなものであるとも言えます。私たちは、どのように判断をしたらよいのでしょうか。
判断基準において重要なのが、防災の絶対的なルール「自分自身の安全が最優先」です。まずは自分自身の安全が確保できるかどうかを基準にすれば、「自分でできる」、「1人ではできない(仲間を集めなくては)」、あるいは「自分にはできない」といった判断が見えてきます。では、この安全が確保できているかどうかについてはどのような線引きでもって考えれば良いのでしょうか。
前述の目の前で人が助けを求めている状況に戻りましょう。皆さんはどのような判断をしたでしょうか。ハンカチなどを当てて止血をする、といった具体的な判断を考えられた方もいらっしゃるでしょう。その時のご自身の活動のイメージはどのようなものだったのでしょうか。サージカルグローブ、もしくはそれが無ければビニール袋などを手にはめて、血液へ直接触れないように配慮できたでしょうか。素手で対処した場合、その人がもし、B型肝炎やHIVといった血液を介して感染する疾病を抱えていたら、指先のささくれを経由してそうした疾病にあなたが感染するリスクがあり、安全であるとは言えません。あるいは、その出血が動脈性出血か静脈性出血かを見極める必要性に留意されたでしょうか。太ももの太い動脈からの出血の場合、ハンカチを押し当てる圧迫止血だけでは出血を止めることができず、止血帯の使用も考慮する必要があります。その対処ができなかったために、その人が大量出血で落命した場合、その後悔はあなたの心に大きな傷跡を残すおそれがあります。これまた安全とは言えません。
こうした知識や技術に裏付けられた安全があって、初めて「自分でできる」という判断が妥当なものとなります。そうした知識や技術を得るための唯一の手段が、訓練なのです。米軍の教育には、「本番になって急に腕が上がるなんてことはない、訓練のときのレベルまで落っこちる」という言葉があります。いざという時には訓練で身につけた知識や技術だけが自分の安全を守る根拠となります。
訓練を受けていない事はするな
発災時の重要なポイントとなる判断についてまとめていきましょう。判断は何よりも迅速さが肝心です。そしてその判断の基準は、安全が確保できるか、即ち「自分自身の安全が最優先」という絶対的なルールを遵守できるかどうかとなります。安全でないことは、しない、という判断が正解なのです。
このことは様々な機会でお話しをさせて頂いていますが、学校の校長先生など、多くの命を預かる責任者の方を中心にツッコミが入ります。「では自分の安全を優先するならば、応急手当もしちゃいけないということですか」と。そうではないのです。正しい訓練を積んでいれば、安全を確保する方法も把握できるようになります。しない、という判断ができない、したくない、という事柄については積極的に訓練を受ければ良いのです。ひるがえって、判断基準を簡略に表現するならば「訓練を受けていない事はするな」ということなのです。
ドローンパイロットにもライセンスがあります。ライセンスを取得するには適切な訓練を受ける必要があります。訓練を受けず、ライセンスを取得していなければ、ドローンを飛ばすことはできません。不知識な者がいたずらにドローンを飛ばすと危ないからです。その他の諸々も道理は同じです。
災害が起きた時に、自分自身の安全を最優先するだけでなく、周囲のために何をしたいですか。何をする必要がありますか。その「する」という判断を整理すると、どんな訓練を受けておくべきかがおのずと把握できるようになります。冒頭の言葉を撤回するような言い方ですが、その考察と訓練こそが、防災の王道なのかもしれません。
国士舘大学 防災・救急救助総合研究所 嘱託研究員
公益社団法人 東京都理学療法士協会 スポーツ局 外部委員
佐伯 潤
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