10 こころの応急手当でストレスに対処する
2022年 11月15日
そもそもストレスってなんだ
筆者のトレードマークであるカーゴパンツ。EMSパンツという特殊なカーゴパンツで、ポケットが9つあります。EMSとは、Emergency Medical Service(緊急医療)の略で、大きな特徴としてはふくらはぎの外側にもポケットがついています。これは、具合の悪い方というのはだいたい座り込んでいるか、倒れているかのどちらかなので、対応するとなると、片膝立ちのポーズになります。そうなると、太ももより上のポケットへのアクセスが悪くなる、ということで、片膝立ちでもアクセスしやすいポケットとして、ふくらはぎの外側にポケットがついているわけです。このカーゴパンツには普段から災害に備えて色々なものを入れています。応急手当のためのアイテムも様々含まれ、絆創膏はもちろんのこと、大判のガーゼ、三角巾、接触による血液感染を防ぐためのゴム手袋のほか、ペットボトルに装着して水をぴゅーと出して傷口を洗うためのキャップや、さらに、自分用のツールとして、切り傷を封じるための瞬間接着剤、個人的には万能薬だと信じてやまない台湾の白花油という塗り薬も入っています。
これらはみな、肉体的な負傷に備えたアイテムですが、人は災害に際して物理的な負傷以外に、精神的な傷を負う場合があります。一般的に惨事ストレス、と呼ばれるものですが、そもそも、ストレスとは何なのでしょうか。
ストレスは、ストレッサーとストレス反応というもので構成されています。ストレッサーとは視覚や聴覚などの感覚が反応する外部からの刺激を指します。そのストレッサーに対する反応がストレス反応ということになります。突然の大きな音にびくっと反応する、というのも、実はストレスの一種で、この場合、大きな音がストレッサーであり、びっくりするという反応がストレス反応に該当します。私たちは 常に様々なストレスに接しながら生活をしているのです。線路わきで暮らす人が、電車の通過音を気にせず生活できるように、慣れてきて無害だと認識しているストレッサーにはストレス反応が出なくなります。こうして人のこころはストレスに順応しながら生きています。
ただし、このストレスがあまりに強烈で、例えば、前述の大きな音を聞いたことによるストレスが、通勤途中の十字路で、それ以来、なんとなく怖くてその道を通るのが嫌になってしまったとします。こうしたストレスの影響が重度化していき、家から外出するのも怖くなってしまう、とか、恐怖のあまり夜眠れなくなってしまう、食事が喉を通らなくなってしまうなど、日常生活に支障を来たすようになる状態をストレス障害と呼びます。
強烈なストレッサーを受けた直後から表れて、一か月程度で症状が緩和するものを、ASD(Acute Stress Disorder:急性ストレス障害)と呼び、ASDが長期化したり、あるいは、ある程度時間が経過してから表れたりする症状を、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)と呼びます。これらのストレス障害は日常生活に悪影響を及ぼすだけでなく、最悪の場合、自ら命を絶ってしまうということにもつながりかねない深刻な問題です。
災害時にご遺体を目撃してしまった、知り合いが大けがを負った、といった強烈なストレスを負った場合はさておき、突然の発災でびっくりした、とっさの判断ができずうろたえてしまった、といった小さなストレスも災害時には数多く存在します。小さなストレスと言えども、矢継ぎ早にこころにダメージを食らうと、それがつもりつもって、大きなこころの負担となることがあります。そして、災害時には思いもよらない出来事、小さなストレッサーが次々と発生することがあります。そんな心拍数が突如として跳ね上がってしまうような状態に対する対処法について、今回は考えてまいりましょう。
まずは落ち着くこと
前回のコラム、第9話「訓練の意味は筋肉を育てること」で、心拍数と認知能力の関係についてお話をしました。心拍数が過度に上昇すると、思考能力、識別能力が低下して「わけがわからない状態」に陥りやすくなります。すると、普段なら対処できるはずのストレッサーも、強いストレッサーとして捉えてしまうようになり、ストレス障害が発生しやすくなります。
実際に皆さんも、驚くような情報に接した時には、まずは落ち着いて、と自分に言い聞かせたり、誰かをなだめたりした経験をお持ちなのではないでしょうか。落ち着く、すなわちリラックスするということは、指に刺さったトゲのような小さなストレッサーが、強い悪影響を及ぼすことが無いようにするための心の応急手当であると言えます。心理学的に「情動焦点型行動(情動とはこころの働きの意味)」と言われる、この心の応急手当には、深呼吸をする、ストレッチをする、といった手法が該当します。ストレッチの延長線として、ヨガが良いと言われる方もいらっしゃいます。
たしかにこれらの方法は有効ではあります。しかし、第2話「防災に王道はあるか」でお話ししたとおり、情動焦点型行動も一つのスキルである以上、平時に備えておかなければ、いざ災害のストレッサーが襲ってきたときに初めてトライしてみるのでは遅いのです。災害が発生して、気持ちが落ち着かない時にヨガが利くと言われて初めてヨガに挑戦することを想像してみてください。ヨガでリラックスできるほどに体が柔軟ではないかもしれませんし、そもそもインストラクターの動きを追いかけるのが精いっぱいでリラックスどころではないかもしれません。
また、気分転換のための趣味的な物事を用意しておくのも手法の1つです。筆者の知人の一人は、気持ちを切り替えるツールとして、数独と呼ばれるパズルを持ち歩いていました。このパズルを10分ほど取り組んでみると、丁度良い気分転換になると言っていました。
このように、リラックスのための方法は人それぞれです。また、状況によっては、ヨガをするスペースが確保できないこともあるでしょうし、パズルに取り組む時間が無いこともあるでしょう。そのために、いくつかの手法を用意しておく、というのも災害への備えとしては重要となってきます。そこで、今回は誰でも取り組むことが可能な「戦術呼吸」という呼吸法をご紹介いたします。
惨事ストレスへの応急手当「戦術呼吸」
戦術呼吸とは英語ではCombat Tactical Breathing (Square Breathing)と言い、軍や法執行機関で現場活動にあたる方々などが習得している呼吸法です。
方法はシンプルで、ゆっくりと4秒間かけて鼻から息を吸い込みます。そのあと、4秒間息を止めます。次に4秒間かけて口から息を吐き出します。ストローをくわえているように細く静かに吐き出すのがポイントです。息を吐き出したらまた4秒間息を止めます。この16秒間の呼吸を1サイクルとして、何サイクルか行うのが戦術呼吸です。吸う、止める、吐く、止める、の各ステップをきっかりと区切るのではなく、それぞれがなだらかにつながっているようにできるのが理想形です。
このリズムに慣れるまでは、就寝前や、座り心地の良い椅子に座るなど、身体的にもリラックスした状態で練習をしてみましょう。呼吸と連動して体がリラックスしている状態を結び付けておくことによって、実際に戦術呼吸が必要となった場面でも、呼吸をすることで、条件反射的に体がリラックスした状態を思い出すようになれば、相当に有効なリラックス法になります。
戦術呼吸については、もう一つ重要な訓練があります。それは、実際に使ってみること、です。何か気持ちを切り替えて活動をする前に1サイクルでも戦術呼吸を行う習慣をつけておくことが大切です。ドローンの組み立てを開始する前や、あるいは、ドローン本体の電源を入れ、ドローン本体とコントローラーがリンクするのを待つちょっとした合間などでも良いでしょう。
筆者がこの戦術呼吸を学んで間もない頃の話です。装備を背負って移動する訓練で、幅30センチの壁面のでっぱりを移動する場面でした。5メートル下には瓦礫を想定した岩場があり、飛び降りたら足をくじく程度では済みそうもありません。初めて実戦形式で命綱なしで移動する段階となって、突然猛烈な緊張感に襲われました。動悸が激しくなるのが感じられ、恐怖感のせいか、もうやめたくて仕方がない気持ちになりました。数歩進んでみましたが、どうしても嫌で、その場で思わずため息がこぼれました。そのため息がきっかけとなって、戦術呼吸を思い出しました。呼吸法に慣れていなかったことから、そのスキルを利用すること自体を忘れていたのです。その場で戦術呼吸を数度繰り返したことで幾分気持ちが落ち着いてきて、残り30m程度の難所を乗り越えることができました。
前もって戦術呼吸の訓練をしておくことも重要ですが、あわせて、心拍数が上昇したり、尻ごみしたりするような状況に直面したら、まずは呼吸をして落ち着く、という習慣も身につけておかないと、せっかく身につけたスキルを活用できないことがあるのです。筆者はその崖っぷちの訓練以降、何か行動を始める前には意識して戦術呼吸を実施するように心がけています。パソコンの電源を入れて、起動するのを待つ間や、メールの処理が終わって本コラムの執筆作業に移る前などです。その習慣のおかげで、ドローンの飛行訓練でも、八の字飛行や、ATTIモードでホバリングさせながら旋廻させるなど、筆者の苦手な種目に取り組む前には戦術呼吸で気持ちを落ち着け、集中力を入れ直すことができています。
戦術呼吸を練習するために、4秒ごとにリズムを刻んだ音声ファイルを下にアップしています。チャイムとカスタネットの音を聞きながら、戦術呼吸にトライしてみましょう。
平時の備えが重要なメンタル
災害が起きていなくても、毎日の生活で、私たちは色々な出来事に遭遇します。その一つひとつが惨事ストレスに対するメンタルケアの訓練の場であり、実践の場であると言えるでしょう。ある研究では、災害に直面して強烈なストレッサーを受けた後、どれくらいの期間でそのストレッサーによるショックを乗り越えられるかということについて調査がされました。
その研究によれば、ショックを乗り越える力を回復力と呼んでいましたが、あらゆる経験を一旦は受け止めるものの、その経験から何か人生のヒントを学ぼうとする姿勢が強い人は、回復力も強いことがわかりました。良きにせよ悪しきにせよ、得てしまった経験を学びの材料にしようとするポジティブさは、ストレスに対抗する1つの手段なのでしょう。
戦術呼吸あるいはその他のリラックス方法を身につけ、何かを経験するたびにそれを実践してみようとする姿勢から回復力を備える。こうした今からでも始められる取り組みが、惨事ストレスだけでなく、日常のストレスにも対抗する手段として、防災における平時からの取り組みの1つであると言えます。とりあえず、本コラムを読了して頂いた区切りとして、一旦、戦術呼吸を試してみてはどうでしょう。
国士舘大学 防災・救急救助総合研究所 嘱託研究員
公益社団法人 東京都理学療法士協会 スポーツ局 外部委員
佐伯 潤
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