28 一人で抱え込んでしまう辛さ

2023年 08月15日

 災害で一番つらい人

 国際標準であるISOでは、安全を「許容できないリスク(生命の危険)がないこと」と定義しています。以前は、シンプルに「リスクがないこと」とされていましたが、人は生物として必ず死ぬことが定められているために、単純に「リスクがない」とすると、安全の達成は客観的に不可能な事象となってしまいます。そこで、天寿を全うした死などを許容しうる死とした(リスクとは呼ばない)結果、現在の安全の定義となりました。災害の犠牲は、この許容できない死の典型であると言えるでしょう。

 これまでの災害でも多くの尊い命が犠牲となってきました。たしかに、災害において許容できない形で命を落とされた方々を思うと、可哀そう、辛かった、無念だっただろう、といった様々な想いが浮かんできます。こうした想いは生きているからこそ、抱けるものであり、故人への気持ちを持ち続けるのは生き残った人々の方です。災害で辛い想いをするのは、残された人々なのです。
 今回は、こうした残された人々の辛さについて考えてみましょう。

 

バイスタンダーフォローアップカード

 今般、市町村の消防本部単位で、導入が進んでいるのが、バイスタンダーフォローアップカードと呼ばれるカードです。119番通報を実施した経験をお持ちの読者の方の中には、このカードを受け取った経験のある方がいらっしゃるかもしれません。
 このカードは消防本部ごとにデザインは異なりますが、基本的な構成は定型化されています。まず、表面は感謝状のようになっていて、「あなたの勇気に感謝します」といったメッセージが記載されています。裏面の方は、電話番号が記載されていて、「今回の対応で不安を感じたりした場合には、こちらへ」と、消防本部の相談窓口につながるようになっています。なぜこのようなカードが必要なのでしょうか。

 例えば、いま、あなたは道路を歩いていて、目の前で突然、人が倒れたとします。即座に勇気を振り絞ってあなたはその傷病者のもとへ行き、様子を確認するとともに、付近の誰か、あるいはあなた自身が119番通報をしました。救急車が到着するまでの間、あなたは心肺蘇生を試みるかもしれませんし、傷病者の意識がある場合には声をかけ続けたり、あるいは、出血している部分をハンカチで押さえたりするかもしれません。その後、救急隊が到着し、手際よく対応し、傷病者は救急車に載せられ、どこかの病院に向けて走っていきました。
 救急隊は傷病者の安全を守ることが最優先ですから、淡々と作業を進めます。救急隊が到着した後は、あなたは部外者のように取り残されはじめます。傷病者が家族や知人でもなければ、一緒に救急車に乗り込んで病院に付き添うこともないでしょう。ぽつねんと事態のあった場所に取り残され、その時はじめて、周囲の弥次馬にスマホで一部始終を録画されていたことに気付くかもしれません。
 突発した傷病者に対して最初の対応をする、たまたまその場にいあわせた人の事をバイスタンダーと呼びますが、バイスタンダーを経験すると、様々なストレスにさらされることが知られています。運ばれていった傷病者が他人であれば、その後回復したのか、無事だったのかを知る手段がありません。「あの人は大丈夫だったのか」「もっと何かできたのではないか」「そもそも自分の対応は間違っていたのではないか」といった答えの得られない疑問がストレスとなります。あるいは、「止血のために応急手当をしたけれども、ケガをした人の血液に直接触れてしまった。感染症とか何かの病気がうつったりしてないだろうか」といった不安が生じる場合もあります。
 ある研究では、119番通報で搬送され、傷病者は後に無事、社会復帰できたケース(成功事例)であっても、7割のバイスタンダーが事後の不安などストレスを感じていたことが判明しています。バイスタンダーフォローアップカードは、そうした救急隊には対応する時間がない、バイスタンダーへのフォローやケアのために用意されたツールなのです。

 

フォローが届かなかった人の苦しみ

 筆者が防災計画の御手伝いをしているとある施設で、災害時のメンタルケアに関する教育訓練を実施したときのことです。広大な敷地を展開するその施設では、利用者や従業員の数に比例して平時でも119番通報が多く、それこそ駐車場での熱中症などを含め、1日に2度以上の119番通報が実施されることもありました。
 警備スタッフに限らず、管理事務所のスタッフなども、結果的に経験が豊富となり、傷病者へのケアや、救急隊への引継ぎもスムーズな印象を受けます。
 そのような施設で、バイスタンダー経験のある従業員に対して、対応後のストレスについてのアンケートを実施しました。すると、意外にも、かなりの割合でストレスを感じているバイスタンダーがいることが判明しました。さらにはストレスの経験が重かったために、「次に傷病者対応が必要な場面に遭遇しても、できることなら自分は対応したくない」という感想を持っている方も少なからずいたのです。
 調査の結果、このストレスの原因が分かってきました。根本的な原因には、連携プレーによる対応がありました。普段、施設に訪れるお客様と一番接点が多いのは、店舗スタッフや、清掃スタッフで、中にはパートやアルバイトも含まれる、現場人員です。したがって、傷病者を最初に発見し、バイスタンダーとなるのも、こうした現場人員である可能性が非常に高いわけです。
 このバイスタンダーとなった現場人員は、施設内では直接119番に通報することはなく、まずは施設の防災センターに報告をします。すると、防災センターから119番通報が実施されるほか、付近の警備員が応援に駆け付けたり、管理事務所のスタッフがフォローにやってきたりします。到着した救急隊への対応は警備員がてきぱきとこなします。
 適切な連携プレーによる対応と、施設側のアフターフォローによって、その傷病者が無事であったか、あるいは、そうでなかったかは把握されています。あるいは、その後、傷病者が無事回復したことを報告する御礼の手紙が管理事務所に届くこともあります。

 そうした事態対応後の情報は、管理事務所と防災センターで共有され、事態が発生した、例えば店舗であれば、店長のところまでは届いていました。しかし、本当のバイスタンダーである第一発見をしたアルバイトの店員など、現場人員にまで届いていないケースがあったのです。素晴らしい連携対応の仕組みができあがっていたのに、フォローアップの仕組みに足りない部分があったために、事態から取り残され、ストレスに苦しむスタッフが生まれてしまっていた事例でした。
 その後、この施設では、傷病者などの事態が発生した際に、関与した人員をリスト化して記録し、その全員に経過を報告するとともに、必要なケアを用意する体制を整えることができました。

 

みんなが不安になり、みんながつらい

 先にご案内した施設のようなケースは、勿論災害時にも、いや災害時だからこそ多発する可能性があります。また、これまでご案内してきた傷病者の対応するバイスタンダーに限らず、故障した器具を応急的に修理した、とか、訓練はしていたけど初めて物資の搬送を実施した、といった1つ1つの作業についても、ストレスの可能性は隠れています。一生の間に何度も大地震などの大規模災害を被災地で体験するといった人は稀です。むしろ、色々と災害への備えを丁寧に実施していていも、大規模災害を被災することなく天寿を全うする人も多くいます。
 ゆえに、大規模災害での対応は、その行動の1つ1つが初めての経験である可能性があるのです。そして、初めての経験だからこそ、「あれでよかったのか」、「もっとできることはなかったのか」、「間違った対応ではなかったか」といった不安によるストレスにさらされます。ストレスが大きくなっていき、1人で担えなくなると、その先には破れかぶれな行動や、自殺といった避けなければいけない二次災害が待っています。

 事態への対処は、チーム戦です。訓練をはじめとする日々の備えでメンタルの面でもチームメンバーを誰一人取り残さないチームワークを、育てていって頂きたいものです。
 こうしたストレスへの具体的な対処法については、次回のコラムで詳しくお話ししていこうと思います。

 

 

 

国士舘大学 防災・救急救助総合研究所 嘱託研究員     
公益社団法人 東京都理学療法士協会 スポーツ局 外部委員 
佐伯 潤 

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