38 たかが歩行、されど歩行

2024年 01月15日

地震がきたら頭を守る

 地震大国である日本では、小さいころから地震にそなえた防災教育が実施されています。幼稚園や保育園から大人まで、それこそ老若男女、こぞっての地震対策です。たとえば東京都教育委員会では、学校における安全教育として、都内の公立小学校、中学校の教育課程に年11回の避難訓練を設定しています。8月の夏休み期間を除いて毎月実施している計算になります。また、消防法では一定以上の規模の事業者に消防計画とともに防災計画の策定を義務付けていて、その計画には防災訓練の計画も含まれています。
 施設単位でその計画を見てみると、その施設の計画に応じて細かな仕様は異なる反面、共通項もあります。その一つが、地震がきたらまずは自分の安全を守るための行動をとるという点です。これは一般的にはシェイクアウトと呼ばれ、机の下に潜り込みます。潜り込むべき机がない場合には、子供たちには「ダンゴムシのポーズ」と呼ばれる、地面で頭を守ってうずくまるポーズが推奨されています。
 防災訓練がこれだけ繰り返し実施されていると、さすがに記憶に焼き付く部分があり、いまどきの小学生に「地震がきたらどうする?」と聞くと、「ダンゴムシのポーズ!」と元気良い回答がかえってきます。これはこれで重要なことなのですが、そのあとはどうしたらよいのでしょうか。

 筆者は、防災教育で小学校にお邪魔することがあります。様々なプログラムを実施するのですが、その中でも代表的な教育プログラムに「防災サイコロ」というものがあります。これは、学校の先生が引率してくださる普段の避難訓練と大きく視点を変えて、登下校中やおつかいに出た時など、1人でいるときに被災したらどうすべきかを考える教育プログラムです。地震が起き、そして、揺れがおさまった後の行動を問う内容ですが、ここで一定の割合の子供たちが、公園などの開けた場所へ移動して、ダンゴムシのポーズを取る、と回答します。
 シェイクアウトや、ダンゴムシのポーズを取る理由は、地震の揺れによって棚などから物が落ちてきた際に頭部を被害から守ることが目的です。揺れが収まった後は、不安定になったものが時間差で倒れてきたり、落ちてきたりする可能性は皆無とは言えないまでも、そこまでして頭を守る必要があるでしょうか。むしろ、建物全体の危険などを考慮して、より安全な場所に避難する必要があるかもしれません。いつまでもその場にうずくまっていたら、移動ができませんし、その後の防災活動に着手できません。
 今回は、揺れが収まった後のシーンでの危険と安全について考えていきます。

 

片足立ちはバランスが悪い

 バランス感覚や、運動能力を測定する手法の1つとして、片足立ちで目をつむるという動作を体験されたことはないでしょうか。意外と難しいんですよね。足首をはじめとする関節の柔軟性や、適切な筋力がそなわって、かつ、バランス感覚が十分でないと、目をつむったまま片足立ちを継続することは困難です。しかし、そこまでしてバランス感覚を評価しなくても、そもそも私たちは日常生活で片足立ちをすることなんてあるのでしょうか。それが、あるんです。お気づきの方も多いかと思いますが、人は、歩いている時は、ほぼ常に片足立ちの状態なのです。一歩ごとに両足で立っているのは見栄を切っている歌舞伎役者くらいなもので、街中でそんな歩き方をしている人はまずいないでしょう。
 二足歩行はとてもバランスが悪いのです。一方で、現代に生きる私たちは、歩くことに関してはとても恵まれています。特に日本は道路の舗装がしっかりと整備されています。きちんと歩道を歩いて、横断歩道を渡っている限り、非常に平坦な道が続きます。目立つ段差といえば、点字ブロックくらいといっても過言ではないかもしれません。そのために、ちょっとした段差でもつまずいてしまうことがあります。主な転倒には二種類のパタンがあります。1つは段差に気付かないことによる転倒です。段差があることに気付かず、つま先をぶつけることもあれば、段差の境目を踏んでしまって、足首をぐにっとひねってしまうこともあります。

 もう1つは、これも段差が関係しているのですが、履物も関係している転倒のパタンで、高齢者に多いパタンです。本コラム第8話でもご案内したとおり、日本では家に上がるときに靴を脱ぐ習慣があるために、世界的にも靴の脱ぎ履きが多く、結果的に脱ぎ履きが容易なようにかかと部分をゆるく靴を履く傾向があると言われています。そうしたかかとの緩い靴の履き方をしていたり、そもそもかかとの無いサンダルを履いていたりすると、足を持ち上げた際に、履物はつま先からぶら下がった状態になります。そのために、自分が足を持ち上げているよりも、履物の底はずっと低い位置にあり、この意識と現実のギャップで段差につまずくことがあります。
 いずれにせよ、バランスの悪い片足立ちが連続する歩行と、路面上の段差は相性が悪く、転倒の原因となります。

 

移動することの危険

 厚生労働省の調べによると、仕事中の事故である労働災害は年間、1万6千件前後発生しています。年によって多少の増減はありますが、その4分の1を占める事故原因が、転倒です。転倒に加えて墜落・落下や、激突など、移動する事によって発生する原因をまとめると、その割合は6割近くにもなります。危険な道具を操作したり、ぎっくり腰をおこしそうな重いものを持ち上げたりするよりも、よほど移動することのほうが危険が多いと言えます。

 これが災害時となるとどうでしょうか。瓦礫が落ちている可能性もありますし、歩道の舗装に使われているブロックが浮き上がっていることも考えられます。屋内であっても、カーペット下の配線を通すためのパネルが移動して思わぬ段差が生じているかもしれません。災害時は転倒のリスクがいやおうなしに高まります。
 冒頭で触れた通り、地震が起きた時には頭を守る行動をとります。頭部の損傷は重症化しやすいので、これは必須であると言えます。揺れがおさまった後は、頭部を守るために、転倒回避に気をつかう必要があります。本コラム第13話でご案内したように、直立した状態で、皆さんの身長の0.8倍の高さに肩があり、頭はその上に載っています。一般的な成人であれば、みんな1m以上の高さに頭を載せて移動をしているわけです。また、頭だけでも、体重の1割弱の重量となります。
 災害時、私たちは、大切な頭部を保護するために、ヘルメットを装着するのは勿論のこと、転倒時に腕をついて衝撃を和らげられるように、なるべく荷物を持たず、少なくとも片手の自由は確保する必要があります。それに加えて、なによりも、転倒を防ぐために、履物に配慮して、しっかりと足元に注意を払う必要があります。

 

余裕をもった行動計画を

 筆者は、共に防災教育の訓練を実施するインストラクター達と、トレーニングのために山に入ることがあります。特に標高の高い山を登ることはないのですが、整備された登山道を外れて渓流沿いを歩いたり、50度以上の傾斜のある急勾配を昇り降りしたりします。岩の多い渓流では、しっかりと足元を確認して進まないと、不安定な岩に足をのせると簡単にバランスを崩してずぶ濡れになることもあります。また、足元ばかりに注意をはらっていると、思いがけないところから木の枝が張り出していて、おでこに引っかき傷を作ったりすることもあります。
 そのために、慣れないインストラクターは、移動速度が低下しますし、そのような悪路を20キロ近くも移動すると、すっかりへとへとになっています。ここで興味深いのは、けして運動不足ではないインストラクター達が疲れを感じるのが、身体よりも、頭(脳)だと言う点です。
 転び疲れ、などと言うことがありますが、何度か転倒をすると、痛みが増え、うんざりした気分から、疲れを重く感じる時があります。転倒はしていなくても、慣れない悪路を進むと、普段よりも多くの注意を四方に張り巡らせることで、精神面や思考力の面で疲れが溜まっていきます。

 災害時、何も考えずに歩いていれば、それだけ転倒するリスクは上がり、転び疲れを引き起こしやすくなりますし、転ばないようにと注意して歩いていても、思考に大きな負担がかかります。いずれにせよ、災害時の移動は、普段の生活では体験しないような疲労を伴います。思考力の疲労は、注意力の散漫につながり、うっかりミスなど、新たな危険を引き寄せることになります。安全のためには、普段以上の休憩が必要になることも考えられるでしょう。
 災害時に公共交通機関などが運休し、帰る手段を失った人のことを帰宅困難者と呼びます。帰宅困難者の判断の目安としては、自宅までの距離が10km以内であれば徒歩帰宅が可能、その後、1kmごとに到達可能性が10%ずつ低下し、20kmより先は到達できないであろう、というのが一般論です。一方、JRや私鉄各線はおおむね震度5弱以上の地震が発生すると、全路線の点検のためにいったん運行を停止させます。例えば、関東エリアにお住まいの方々の中には、2011年の東日本大震災で十数キロの道のりを歩いて帰ったという経験をお持ちの方も少なくないかもしれません。しかし、あれは、東北地方の地震であって、関東地方の揺れは、あくまで周辺部の揺れに過ぎなかったことを意識する必要があります。震源地が近くであった場合、路面の状況は著しく悪化し、いつも通りに歩いて移動することが困難になります。
 わざわざ山まででかけなくても、近くの河川敷を散歩する際に、少し遊歩道から外れたところを歩いてみると良いでしょう。舗装されていない道がどれほど歩きづらいかを経験しておけば、災害時の移動にも余裕のある行動計画が立てられるかもしれませんし、それがあなたの安全につながります。

 

 

 

国士舘大学 防災・救急救助総合研究所 嘱託研究員     
公益社団法人 東京都理学療法士協会 スポーツ局 外部委員 
佐伯 潤 

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