40 安全の基礎、避難階段
2024年 02月15日
様々な消防設備
皆さんが働いておられる仕事場や、よく行くカフェやデパート、駅などの天井を観察してみてください。照明やエアコン、監視カメラ、あるいは、スピーカーなどいろいろな設備が付いています。それ以外にも天井には様々な防火、防災のための設備が設置されているのですが、どれくらい見つけることができるでしょうか。
避難経路や非常口を示す緑色の誘導灯や、火事をいち早く覚知する火災報知器はどんな建物でも見かけます。デパートなどではスプリンクラーがついていることもありますね。ぽつんと明かりのついていない照明があるのは、電球が切れているのではなく、非常用照明といって、停電時などに点灯して暗闇で右往左往しなくて済むようにしてくれる設備です。
また、天井には点検口といって天井裏の設備のメンテナンスのための四角い出入口が設けられていますが、大きな施設になると、点検口とよく似ていますが、少し小ぶりな火災時に煙を排出するための排気口を見かけることがあります。床面積の広い建物や、地下道などで、天井から50センチほどのガラス板がぶら下がっているのに気付いたことはあるでしょうか。これは防煙垂れ壁といって、天井付近を広がる火災時の煙の進行をブロックするための設備です。
このように、多くの人が利用する建物には、皆さんの安全のために、いくつもの設備が備えられています。一般家庭でも設置が義務付けられている火災報知器や、ホテルに宿泊した際にスタッフの方から必ず案内される非常口の誘導灯あたりは、皆さんの生活にもかかわりのある設備ですが、それ以外は建物管理や、お店のオーナーにでもならない限り、あまりなじみがないものかもしれませんね。
今回のお話しは、色々な設備があるなかで、誰しもが避難訓練で一度は利用したことがある、最も身近な存在、避難階段についてです。避難階段は、皆さんが建物の中で、地上の道路と接しているフロアより上の階(だいたい2階以上ですね)や、地下にいて火災など避難が必要な状況での通り道です。高層階のオフィスに勤務されている方には、避難訓練で延々とおろされてうんざりした経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、この避難階段、案外とすごく緻密な設計にもとづいて設置されています。
火災時の脅威、煙
火災で恐ろしいのは煙です。総務省が発行する消防統計でも、火災で亡くなった方の死因は、炎に焼かれることよりも、煙による一酸化炭素中毒等の方が高い割合を示しています。前章でご案内した防煙垂れ壁などは火炎ではなく煙の広がりを防ぐことに注力している設備であることからも、火災時の安全のために、いかに煙との対峙に注力されているかがわかります。
煙は、火炎とともに発生するため最初は高温です。そのため天井付近に溜まっていきますが、煙の蓄積によって、あるいは、煙が広がるにつれて温度が下がってくることによって、床面に向かって降りてきます。実際に火災を経験したことのある人は、この煙が降りてくる状況を、「天井が落ちて迫ってくるよう」などと振り返ります。この目に見える煙よりも下には更に高温の空気の層があり、この空気を吸い込むと、気道熱傷となります。気道熱傷は、文字通り、呼吸時の空気の通り道である気道がやけどによって腫れあがり、呼吸ができなくなる外傷です。想像するだけでも息苦しいですね。
このように、火災時はとにかく煙やそれに付随する高温の空気から逃げなくてはなりません。そのための対策としては、防火扉や防火シャッターといった設備があります。これらの設備は、建物の中を防火区画とよばれる細かなスペースに区切って、それ以上煙や火炎が広がらないように防ぐ働きをします。火災が発生し、火炎が見えるスペース(これを火災室と呼びます)に居合わせた場合、避難の初動としては、いちはやく火災室を出て、別の防火区画へ移動することが重要になります。
屋 外に設置された避難階段は無論のこと、建物の中に設置された避難階段も、階段室は1つの防火区画を形成しています。よって、避難階段に辿り着ければ、初動としては一安心です。
読者の皆さんの中には、建物内部から階段室に向かう際に、2回、扉をくぐる避難階段を通った経験をお持ちの方がいらっしゃるかと思います。これは、15階以上、地下3階以上の建物などに設置される、特別避難階段と呼ばれる避難階段です。
特別避難階段の活用法
特別避難階段の入り口についている小部屋のことを付室と呼びます。この付室には、他のスペース同様の排煙口がついていますが、それとは別に、送風口が設置されています。火災時には、文字通りこの送風口から空気が送り込まれます。それによって、付室内は前後の空間よりも気圧の高い陽圧となります。ドローンを飛ばす皆さんならよくご存知のとおり、風は高気圧から低気圧に向かって吹きます。これと同様に、陽圧となった付室からは、陰圧となる周囲の空間に向かって風が吹くことになります。
お気づきの通り、この陽圧から生じる風によって、付室は火事による煙が進入してきづらい構造になっているのです。多くの付室には、通路として通り抜けるスペース以外に、2平米程度のスペースが確保されています。これも、ただ場所が余っていたから設けたわけではなく、理由があります。
避難階段を使って火事から逃れる際に、一番苦労するのは、歩くのに不自由をしている方々です。その中でも最たるものが、車椅子を利用している方です。車椅子と乗っている方を分けて、それぞれを何人かで抱きかかえて搬送することは無理ではありません。しかし、多くの方が避難している途中にそれをやっては、瞬く間に渋滞を引き起こし、最悪の場合、逃げ遅れを生み出す要因になってしまうかもしれません。
そのために、車椅子を利用している方や、杖を使っている方などの安全を確保しつつ、一旦待機して移動できる人を先に避難させてしまうための退避スペースが、この付室の一見無駄に見える空間なのです。
なお、特別な搬送資材が無くとも、向かい抱き搬送法という2人がかりで人を搬送する方法があります。搬送する人は横向きに移動するので、階段ではゆっくりと落ち着いて搬送する必要がありますが、疲れづらく、同程度の体格の人でも運べる手法として有効です。車椅子に乗ったままの状態で、車椅子ごと持ち上げて運んでしまうという方法も考えられないことはありませんが、この場合2名ではとても安全に運びきれるものではありません。別々に搬送し、最悪の場合、車椅子を置き去りにしても人命を優先するという考え方のほうが現実的と言えるのではないでしょうか。
皆さん自身が経験されたことがあるように、長い階段を降り続けるのは体力を消耗するものです。階段を上るのと下りるのでは、上ることのほうがはるかに大変そうですが、上る際に苦しさを感じるのは筋肉よりも心肺機能の負担に原因があるケースが多いようです。そのため、途中で休みながら上れば階段を上がることはできます。一方で、階段を下る際には、関節とそれをサポートする筋肉の負担が大きくなります。筋肉の疲労が限度を超えてしまうと、少し休んでも下りるのがつらいという状況になりかねません。
特別避難階段に限らず、普通の避難階段でも、片側にしか手すりがついていないことがあります。避難をする際には、体力面で大変そうな方に手すり側を譲ってあげる、そういった配慮が多くの方に備わっていることを願うばかりです。
避難階段を下りるだけが避難ではない
さて、かように建物の中で重要な役割を担っている避難階段ですが、避難階段での避難は手段であって目的ではありません。火事で避難をしたとしたら、避難階段で避難をした後、延焼の危険を回避するためにも速やかに建物から離れる必要があります。
ところが、避難階段の出口は必ずしも建物の玄関と同じというわけではありません。建物の裏側に設置された避難階段であれば、避難した先は当然建物の裏側になります。大規模な施設であれば、避難階段の出口にも誘導員がいて、正しい方向に誘導してくれるかもしれませんが、そこまで人手が回らない建物もあります。また、自分より先に避難している方向が正しい方向である確証もありません。
ちなみに、筆者は地方出張で旅館やビジネスホテルに投宿した際には、チェックインを済ませ、部屋に荷物を置き、食事に出かける際などは、避難階段を使って外に出るようにしています。土地勘のない場所だと、本当にここがついさっき投宿したばかりのホテルの近所なのか、と思うような路地に出ることも少なくありません。ホテルの客室にいる時間は夜間が殆どです。暗くなった時間に、右も左も分からない場所に飛び出してしまったら、あやまって袋小路に逃げ込んでしまうかもしれません。
最近は防犯上の理由などから、平時は施錠されて通れなくなっている避難階段も多くあります。そうした場合は、一度建物の外周をぐるりと回って、避難階段の出口を確認します。たったそれだけの手間を踏むだけで、いざというときの避難の成功率は上がると考えています。
たかが避難階段、されど避難階段。本コラムでもここ数回にかけて、火事の危険や初期消火など、火事にまつわるあれこれをご紹介してきましたが、避難階段は火事からの避難には欠かせない防災設備です。皆さんも次に避難訓練に参加される際には、付室がついているのか、手すりはどちら側についているのか、避難階段を抜けた後はどちらに行った方が正解と言えるのか、など、少し避難階段について深く考えてみることをおすすめします。
国士舘大学 防災・救急救助総合研究所 嘱託研究員
公益社団法人 東京都理学療法士協会 スポーツ局 外部委員
佐伯 潤
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